「宣伝会議」70周年とコピーライター


「宣伝会議」が70周年だそうだ。
ちなみに宣伝会議とは、広告宣伝、マーケティングの専門誌である。

私が広告業界に入ったのは
この宣伝会議が開催していた「コピーライター養成講座」の
通信講座を受講したのがきっかけだ。

当時(40年位前だが)、講座の教室が開かれていたのは
東京、大阪、名古屋くらいではなかったろうか。
大学を中退して福岡でプータローをしていたころ、
友人が東京の宣伝会議の講座で学んでコピーライターとして
熊本の広告代理店に就職したという話を聞いて興味を持ったというわけだ。

広告業界では糸井重里さんや仲畑貴志さんが活躍していたころで
「キャッチコピー1本100万円」とか言われていた時代。
何の取り柄も才能も学歴もない落ちこぼれの若者が
鉛筆と消しゴムさえあれば稼げる、という触れ込みに飛びついたのは
とりあえずメシを食っていくためにとはいえ、
(短絡的かつ安易であるけれど)至極当然の成り行きだったのだ。

通信講座は1年間のカリキュラムだったが、
シコシコと課題のコピーを書いては宣伝会議に送り
返信された添削原稿をじ~っと眺めては「なるほど~!」と学習していたのである。
その間、ホテルのテナントで入っていた花屋でバイトをしていた。

そんな感じで半年ほどえっちらおっちらとコピーライターの修行をしていたら
宣伝会議から聞いたという地元福岡の制作会社から直接求人が来て、
数日後面接のみで即採用となった。
素人に毛が3本ほど生えた全くの新米コピーライターの誕生だ。24歳だった。

以来40年余り、コピーライターを振り出しに、
企画からディレクション、プロデュース、営業、営業兼経営と
職種(職場)は違えど、広告畑ばかりを歩んできた。

いまだに案件ごとに四苦八苦しながら取り組んでいるが
似たような案件はあっても、まったく同じ条件の仕事はない。
いつもオーダーメイドだ。だから面白いし、毎回新鮮味がある。

広告業界も世の中の流れ(進化とはあえて言わない)に
寄り添いながら変化してきた。
いや、変化してきたのは広告を盛る器の方であって、
広告の本質的なものは変わっていないように思う。

いまはデジタル広告が全盛だが、
見込み客を「ターゲット」としてとらえている感覚がどうも違うように思う。
顧客視点と言いながら、その実企業の売らんかな、の視点だったりするので、
いかがなものかと思うのである。

なぜ、見込み客を「人」としてイメージできないのか?
買ってくれるのは「ターゲット」ではなく、
〇〇さんというひとりの「人」なのだが。

そういう意味では今後ますます
「AI×マーケティング」の実装領域も広がるだろうが、
「広告のプロ」としての存在が脅かされないよう
さらなる知見を積みあげることが求められるであろう。

70周年の「宣伝会議」のページをめくりながら
今どきのアドマンたちも大いに悩んで模索し、
よりよい広告づくりに励んでいる姿を見るにつけ
年齢だけはベテランになってしまったけれど、
まだまだ現役で頑張るぞ!と久々に血が熱くなったのでした。

[蛇足]
弊社は4月20日、創業14周年を迎えます。